2018年2月13日火曜日

ゆず2018 新メンバーになりました!

ゆず2018! 「うたエール」とうとう2/9より配信されました! 
昨年11月「ゆず新メンバー2018名募集」に、ダメ元で応募し、当選し、なんとゆずの新メンバーに加えて頂いたのです!
1人/2018人です^^
レコーディングの日は、母もなんとか大丈夫だったので、横浜まで行く事が出来、参加させて頂けました。母ももし元気だったら、ゆずメンバーになった私の事 を、とても喜んでくれたと思います。残念ながらこの完成を待たず逝ってしまったので、見てもらう事は叶いませんでしたが・・・。しかし、今日は、母とのゆずの思い出を語らせて頂きたいと思います。

デビュー20周年を迎えたゆずさんの、最初から大ファンだった私。その頃は4人の子どもたちも小さく、たくさんお金もかかり、とてもゆずのCDなど買う事も出来ず、ましてビデオ(昔はDVDではなかった・・・)など、欲しくても買えなかった。

諦めた「ふたり」
買ってもらった2枚組
あの頃、出ていた2つのビデオフィルムを、ある店でじっと眺めながら欲しそうにしていたら、母が「なんや、欲しいんか?」と聞いた。「うん、でもこんな ん、高くて買えへんしなぁ」と言うと「買ってあげるで」と言ってくれた。私は大喜びで「ほんま? ほなどっちにしようかなー」と言うと「2つとも買えばいいやん」と! 「えー? ええのー? そんなんええのーー?」と言いながら、しかしそれは、かなり の出費になるので私が踏み切れず、「ふたり」は諦め、二本組だった「ふたり秋味」を買ってもらったのだった。そして毎日、洗濯物をたたみながら、茶碗を洗 いながら、とにかく何をするにも、テープがすり切れるまで見ていたものだ。

2000年に出た限定版「ゆずマンの夏」がTUTAYAさんで中古で売っていたのを見つけた時も、即買いゲットした。写真のように、これはCDなのにパッ ケージが大きな箱だったので、「お母ちゃん。ゆず、買ったで」と言った時、母は「何やそれ、美味しいんか?」と言った。お菓子の箱だと思ったらしい・笑
お菓子の箱のようなCDケース
ゆずさん10周年を超えた頃から、テレビに出る事が多くなり、新聞のテレビ欄で「ゆず」の2文字を見つけると母は「今日、ゆず出るな」と、いちいち電話してくるのだった。
突然出ているのを見つけても「今、ゆず、出てるで!」と、やはり電話をかけてくるのでした。
「ゆず」と「コブクロ」の違いがわからない兄にも、母は「典子の好きなんは、そっちとちゃうで」と言える人だった。
(注・コブクロがキライと言う意味ではありません。)
母は、きっと私の好きなものに興味があったのだと思います。信仰についても、本当は良いものだとわかっているのに、素直になれない思いがあったんだろうなと、今は、思います。今日も母の事を色々と思い出し、懐かしい思いにひたっています。

大阪・梅田の巨大広告とともに^^

2018年2月8日木曜日

母、イエス様の所へ

皆様に祈って頂いていた母は、2月3日の早朝、天に静かに旅立ちました。
2月5日に近江福音自由教会で葬送式を行っていただきました。

5日、予報は雪マークだったのに全く雪も降らず、晴天の中行なわれ、葬儀では神様の大いなるみわざを証し賛美させて頂きました。多くの方々に見送られ、母は私より先にイエスさまに会えたんだな、うらやましい限りだ、と思いました。ただただ、主を賛美致します・ハレルヤ!

神様は、私には全く想像もできない素晴らしい結末をずっと前からご計画されてたんだなと、今知る事となりました。だから今は、まだ続いている試練も、神様の深い計らいがあって、必ずとんでもない祝福の結末を迎える事ができるんだと信じる事が出来ます。母の事を通して、ある意味すべてがどうでも良くなりました。(悪い意味ではありません、とても積極的な良い意味です)


葬儀では、懐かしい親戚とも会うことができ、初めて見る母の写真をいただきました。一枚は、まだ子供の頃の母です。


母は4姉妹の長女
もう一枚は、多分30代後半かなと思う父と母です。私は両親どちらにも似ているらしい。夫婦がよく似た顔してます、 笑 
どなたかの仲人をした時の写真
母と親しくしてくださった方々、また祈ってくださった方々、心に覚えて応援して下さった方々に心から感謝いたします。はっきりと信仰持った母ですから、今 は神様の所で、痛みも苦しみも涙もないところで安らいでいます。「なんと言えばいいのか」と言ってくださった方もありますが、どうぞハレルヤと言ってください! 
皆様、本当にありがとうございました。